塚本如舟 (つかもと じょしゅう) ?~1724 享年84才
俳人 墓所 島田市 静居寺
仕様石材 本御影石
略歴
島田宿塚本家は代々孫兵衛(まごべえ)を名乗り、1696年、初代の川庄屋を
代官から任命されています。その他にも組頭、名主、問屋場の年寄、六代目からは
問屋を努めるなど、代々宿役人の要職を務めました。当時の屋敷は、間口五間余、
奥行四九間余でした。
三代目孫兵衛は、「如舟」と号して俳諧を嗜みましたが、後に子孫が、
彼のことを「家業に精を出し、酒造・製茶を営んで江戸に送り、東叡山(上野寛永寺
)への献茶の御用を蒙るなど繁昌して富貴となり、宿高の内一五〇石を持っていた」
と伝えています。塚本家は主に茶商と大地主として財を成したようです。
また彼は、島田出身の連歌師宗長を偲んで、長休庵という草庵を南裏に建てましたが、
後に宗長庵という寺になっています。
1691年、俳諧師芭蕉が江戸に向かう途中、俳人として知られていた如舟宅を
訪れました。このとき芭蕉84才、如舟51才でした。また、1694年、芭蕉は
、江戸から郷里伊賀上野へ向かう途中、再び如舟宅を訪れ、川留めのため
四泊五日滞在しています。このときにも、石碑に記されているような有名な
句をいくつか残しています。なお芭蕉は、この年10月に永眠しましたが、
芭蕉没後も塚本家には、芭蕉ゆかりの跡を求めて、親友の素堂(そどう)や
高弟の嵐雪(らんせつ)・桃燐(とうりん)・支考(しこう)
・許六(きょろく)・涼菟(おと)らが訪れています。
『東海道島田宿の歴史』
旧墓所は静居寺山の中腹に残されていますが、塚本家墓所は
改装され静居寺境内に移転しています。
石 音
代表 立林 爾
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